TVゲームはどこへ行くのか
約30年程前に、1玩具として産声を上げたTVゲーム
は、年々進化し続け、現在のおいてもその進化は留まる
所を知らない。それどころか、TVゲームでありながら
ゲーム以外にもいろいろな事が出来る、という仕様も、
現代においては当たり前の事の様に言われている。

もはや、TVゲームとは「玩具」ではないらしい。おか
しな話である。「TVに接続して使用する遊び道具」と
いう本質は、30年前と何ら変わっていないのに、何故
か「玩具」ではなくなっているのだ。

では「玩具」でなければ、TVゲームとは一体何なので
あろうか?3月に発売予定のプレイステーション2は、
ゲーム機でありながら家電として売るつもりらしいが、
機能的に見ると確かに家電と呼ぶ方が正しいかも知れな
い。もしこの「家電」が売れて、更に進化して行けば、
「生活必需品」とまでになるのかも知れない。元は別に
無くても困らない「玩具」だったのに、生活する為に無
くてはならない物になっていくのだ。凄まじい進化であ
る。

しかし、この様な進化をユーザーは手放しで喜んでいい
のだろうか?確かに高性能で良質のゲームが遊べて、し
かもゲーム以外に様々な事が出来るとなれば、ユーザー
にとってはありがたい事の様に思える。だが、その進化
の代償として、本来「玩具」が持っていた大切な物を、
失っているのではないだろうか?

最近、ゲーム業界の訴訟問題が相次いで起こっている。
著作権をめぐるトラブルである。「あのメーカーが我が
社のゲームシステムを真似た」だの、「許可なく人の名
前をゲーム内に登場させた」だのと、次々と問題が発生
している。はっきり言ってこんな事は、ゲームで遊ぶだ
けのユーザーにとってはどうでもいい事である。にもか
かわらず、これらはゲームに関する出来事、という事で
ゲーム情報誌に堂々と掲載される。となると当然、ゲー
ムの情報を求めているユーザーが読む事になる。

現在、ゲーム業界は冬の時代である。どのメーカーも生
き残る為に必死になっている。中には、それまでのゲー
ム作りの為に持っていた信念を曲げて、とにかく大きな
市場で勝負、というなりふり構わない経営戦略で挑むメ
ーカーすら現れている。つまり最も売れているハード、
あるいは今後最も売れると思われるハードのみにソフト
を供給していくという方針である。確かに経営戦略とし
ては立派だが、これはユーザー無視の考えである。ソフ
トを供給されないハードのユーザーは、どうするつもり
なのだろうか?本当に「一人でも多くのユーザーにプレ
イして貰いたい」と思うのなら、全ての現行ハードにソ
フトを供給すべきではないだろうか?

これらは、TVゲームが進化し、ゲーム市場がとてつも
なく大きくなり、ユーザーの数も爆発的に増えたが故の
悲劇であろう。要するに現代のTVゲームは、企業とし
ての醜さ、ポリシーの無さをユーザーに見せつけている
のである。果たして、「玩具」であった頃のTVゲーム
に、この様な側面はあったであろうか?あったとしても
その情報がユーザーにまで届いていたであろうか?

本来「玩具」とは、夢を与えてくれる物であった筈であ
る。TVゲームが「玩具」でなくなったのは進化したか
らではなく、夢を与える物から現実を見せつける物にな
ったからではないだろうか?もうTVゲームに、夢を与
える力はないだろうし、その力は今後も2度と蘇りはし
ないであろう。新ハードやソフトを発表する際に、ユー
ザーよりもゲーム業界関係者を優先するメーカー側の態
度、内容よりも制作費を売りにするCM・・・。現実を
まざまざと見せつけ続け、夢を完全に置き去りにしてし
まっているTVゲームは、今後どこへ行こうとしている
のであろうか・・・?


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