アレックス・キッド・オサール
〜マリオを生涯のライバルと決めた男〜
(その1)
マリオ

この名前を知らない日本人ゲーマーは、まずいないであ
ろう。もはや国民的とも言える、ゲーム界のスーパーア
イドルである。任天堂が世に送り出したこのキャラクタ
ーは、既に任天堂の「顔」と言えるべき存在にまで成長
した。

彼のサクセスストーリーは、1985年9月13日に発
売された、このソフトから始まった。

スーパーマリオブラザーズ

累計出荷本数600万本以上。史上空前の売り上げを記
録したモンスターソフト。このソフトのおかげで、当時
全国の玩具店のファミリーコンピュータ本体が、一斉に
売り切れになるという非常事態まで発生した。

キャラクターグッズやタイアップ商品も飛ぶ様に売れ、
ゲームキャラクター=マリオの公式を、見事に成立させ
るにまで至ったマリオ。向かう所敵なしであった。

これに対して、大いに痛手を被ったのが、セガである。
ハードのシェアは完全に任天堂に奪われ、セガマーク3
というニューハードを発売しても、情勢は一向に変わら
なかった。

そんな時、彼はやってきたのだ。セガユーザーの夢と希
望と共に。彼の名は、

アレックス・キッド・オサール

通称アレク。岩をも砕くブロッ拳の使い手で、好物はお
にぎり。勇敢な少年だ。1986年11月1日に、セガ
マーク3専用ソフトとして発売されたこのゲームにて、
華々しくデビューしたのである。

アレックスキッドのミラクルワールド

アレクはマリオに戦いを挑んだ。強大な敵である。しか
し彼は全く臆する事なく、最後まで戦いを続けたのだ。

彼のマリオに対する敵対心は、相当な物であった。例え
ばキャラクターの操作。ボタン配置一つにしても、アレ
クは常にマリオを敵視していた。

「マリオと同じ様にボタンを押されるなんて、
 ゴメンだよ。」

アレクは、攻撃ボタンとジャンプボタンの配置を、マリ
オのそれと正反対にした。

また、食べ物にも拘っていた。

「僕は日本で生まれたんだ。だから日本人なんだ。
 日本人がおにぎりを食べないでどうする?
 それに、道端に生えているキノコなんか
 危なくて食べられないよ。
 毒キノコだったらどうするんだよ?」

彼は終始、おにぎり以外の食べ物を口にしなかった。

食べ物でもそうだったが、アレクは常に自分は日本人だ
と主張し続けた。ボスとの勝負方法がジャンケンであっ
た事からも伺える。確かにジャンケンでの勝負は日本独
自の物であろう。しかし端から見ると、その拘りは異常
ですらあった。

「負けたら命を捨てる覚悟だって、
 出来ている。」

ジャンケン勝負に敗れただけで昇天してしまうアレク。
そこまでジャンケンに入れ込む事は、さすがのマリオで
も真似出来なかった。

だが、そんな彼の拘りも、セガユーザーの中で空しく響
くだけであった。大方の予想通り、ハードもソフトも全
然売れなかったのだ。敵が強大過ぎたのか、ボタン配置
を逆にするという差別化が裏目に出たのか・・・。

(その2へ続く)



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