キャラクターグッズにも力を入れようとしたアレク。
「マリオにもキャラクターグッズがあるなら、
僕のもあったっていい筈だ。」
しかし結局キャラクターグッズは、ソフトを買ったユー
ザーが抽選で貰えた、非売品の「走るカンペンケース」
と、ボードゲームだけに終わってしまった。タイアップ
商品にしても、どこの企業からも話が来なかった模様で
ある。
「せめてミツカンさんに、
アレクのおむすび山を、
発売して頂きたかった・・・。」
キャラクターグッズもタイアップ商品も発売されない、
そもそもゲームそのものが売れない・・・このままでは
マリオに完敗してしまう、そう思ったアレクは、とにか
くマリオにはない物で勝負をかけようとした。マリオと
の差別化を図り、自分がマリオにない物を持っている事
を主張し続けたのだ。
「マリオには、テーマソングがない。
子供達のアイドルになるのなら、
テーマソングは欠かせないよ。」
そしてアレクは、自分のテーマソングを歌い続けた。
スタコラ スタコラ スタコラ サッサ
スタコラ スタコラ スタコラ サッサ
それゆけ それゆけ
元気いっぱい アレク
それゆけ それゆけ
ミラクルワールド
夢と希望が うめぼしがわりの
おいしい オニギリ食べて
さあ 旅立て
強いぞ 負けるな
アレックスキッド
だが、いくらアレクが歌い続けても、子供達はこのテー
マソングを口ずさんではくれなかった。その当時のファ
ミリーコンピュータのシェアは、既に100%に限りな
く近くなっており、アレクの敗北は必至だったのだ。
しかしアレクは、決して諦めなかった。いつか必ずマリ
オを倒す日が来る、そう信じて疑わなかったのだ。
アレクは、次のチャンスに賭けた。続編である。しかし
単にミラクルワールド2としても、スーパーマリオブラ
ザーズとの差別化は出来ない、そう思ったアレクは、あ
ろうことかBMXのレースに出場したのだ。1987年
11月15日の事である。
BMXトライアル アレックスキッド
アレクは走った。走り続けた。ただひたすら勝利を信じ
て・・・。
しかし彼の活躍は、やはり世間に知られる事はなかった
のである。あまりの変貌ぶりに、ゲーマーはついていけ
なかったのだ。故にこの続編は、当時あまりにも不評で
あった。
しかし彼の取った行動は、決して間違いではなかったの
だ。数年後アレクは、この当時の事を振り返って、こう
語っている。
「僕は、時代を先取りし過ぎていたんだ。
その証拠にマリオは、カートレースを始めた。
そう、スーパーマリオカートだ。
僕がBMXに乗ってから5年も経ってからだ。
もしかしてマリオは、僕のBMXのレースに、
対抗したんじゃないかな。」
スーパーマリオカートは、1992年8月27日に発売
された、スーパーファミコンのソフトである。アレクが
言うには、このゲームはBMXトライアルが元となり、
5年の歳月をかけて完成された物なのかも知れない、と
いう事なのだ。もしそうだとしたら、アレクの先見性は
相当なものであったと言える。もっとも、恐らくそれは
アレクの完全な勘違いであろうが・・・。
(その3へ続く)
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